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ピカソの落書き

パブロ・ピカソ(1881年~1973年)は20世紀を代表するスペイン出身の芸術家です。
1900年、彼は初めてフランスのパリを訪れました。そして1904年、パリのモンマルトルに住み始めました。
パリではフォービズムなどの新しい芸術から大きな刺激を受け、そのまま亡くなるまでフランスで過ごし、スペインに戻ることはありませんでした。

91歳で亡くなった時、ピカソには莫大な財産が残り、遺族はフランスに相続税を申告しました。しかしその後、国からかなりの資産の申告漏れを指摘されました。

ピカソの家には生前、彼が気晴らしに作ったものがたくさん残っていました。
新聞の折り込み広告にクレヨンで描いた一筆書きのような絵。
自転車のサドルなどの部品を組み合わせて作ったオブジェや、切れたカーペットの生地を石膏に混ぜて作った彫刻。
すべてはピカソが気晴らしの、いわば遊び感覚で作ったもので、彼の遺族は「折り込み広告に描いたものなど落書きに過ぎず、作品としての価値はない」と主張しました。
しかしながら、フランスはピカソが作ったすべてを作品として評価し直しました。
その結果、大変な相続税額となり、遺族はピカソのほとんどの作品を手放し、物納として国に渡したのです。

膨大な数の作品が国庫に入ったあと、フランスはこの素晴らしい作品の数々をぜひ公開すべきだと考えました。
そして作品の展示場所として選ばれた建物はパリ市内にありました。
その建物は1656年、ある役人の邸宅として建てられました。役人は当時、塩に課される税金の徴収官だったため、建物は「塩の館」と呼ばれました。役人の没後、建物はパリ市が管理していました。

大規模な内装修繕を経て、1985年、建物は国立ピカソ美術館として開館しました。
美術館ができて、世界中の人が物納されたピカソの作品を鑑賞できるようになりました。
国庫にしまい込むのではなく、広く一般に見てもらおうと考えたのが、いかにも芸術を愛するフランスらしいですね。

担当 I.K

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